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電話占い
1995
今から10年以上前、
神戸の方は忘れられないと思いますが
そう「阪神淡路大震災」が有った年です。
これからのお話は実話で、私の実体験のお話です。
長い文章ですが、お付き合い頂ければ嬉しく思います。
私はこの時は大阪市内に住んでいて、
20歳の若造でした、事の重大さが解かっていませんでした。
これは実話で、私の実体験です、
文章でお見苦しい点もあると思いますが、
10年前の記憶をたどって綴っていきます、
1995年 1月 17日 AM5:00
その日 私は夜更かししていて、
深夜番組を見ていてなかなかきりが無く
次の日は仕事が休みだったので
限界まで起きていました、さあ、
そろそろ横になろうかなと思っていたのですが
なぜか眠れず電気をつけて
何をするわけじゃないですが起きてました。
なにか変な感覚の一日で、変な感覚に襲われていました、
こんなに遅くまで起きているのは珍しかったのです。
その時私はバイクを3台持っていました、
アドレスV100、TS200R、
そしてスズキのバンディット250を持っていました。
バンディットは程度が悪くてレストアというかメンテナンスを色々しなければ
と思っていました。プラグ、パット、タイヤなどまだ使えるが
交換が近い状態でした。
友人から安く譲ってもらったバイクでそのときネイキッドブームが来てました。
ゼファー全盛期ですかね。
色々メンテナンスをしてからこれは維持費も安いしセカンドバイクには良いかな
と思っていました。
其の時TS200Rはオーバーホールをしていまして、
シリンダーを外してタオルを突っ込んでいる状態でした。
TSは2ストでしたので、燃費が悪く、100キロくらいしか
航続距離が稼げませんでした。
爆発的な加速力は大好きでしたが、燃費はどうしようもないと
諦めていたので、バンディットを入手したのです。
ふと静かになって、母親が朝起きるのが早いから、そろそろ起きてくるかな
と思ったときでした。
遠くから何か近づいてる。
地鳴り?トラック?バイク?
いや違う何か聞いたことが無い音でした。
だんだん近づいてきて、、、
生理的に嫌な感覚がしました。
頭の上から小さく
「ミシミシ、、、」
と建物がひずんでいる音が聞こえました。
椅子に座っていたんですが、思わず立ち上がって、後ずさりしだしました。
音はある方向から近づいてきました。
今はその方向が西だったのは覚えています。
だんだん後ずさりした私は部屋の角に背中がくっつきました。
何、、、?何やねん、、、?
ゆっくり近づいてきました、それがちょうど窓の向こうに来ました。
ドンっと鈍い音がしました。
身体が浮いたんです。
ガタガタ、、、
やばっ、、、
地震に初めて気づきました。
母親が起きてきたのか電気をつける音が聞こえて、
「おかん!テーブルの下にかくれーっ!!」
声を出したら私の身体はグルグル回りだしたのです。
?
まともに立てない、
足が地に着かないというのはまさにピッタリの状態でした。
ものすごい音でした、
言葉では言い表せないなんとも不快な音です。
大きく、低い音、その音の向こうに小さい高い音を
感じました。
しりもちを着いてしまいました。
ベットが動いているのが解かりました、
そんな光景を見たのは生まれて初めてでした。
なんとか壁を背中にくっつけようと立ち上がって、
必死で踏ん張りました。
すぐに止まるはず、、、、がなかなか収まらない。
建物が倒れるんじゃないかと思いましたがどうすることも出来ません、
ただ必死で踏ん張りました、
前のめりに身体が倒れるごとに
踏ん張って背中を壁にくっつけようとしました。
2分くらいだったと思います、だんだん立っていられるようになって
揺れが収まってきました。
まだ電気は其の時はついていました。
揺れが収まりました。
「バチッ、、、」
揺れが収まってから電気が切れたんです。
電気が切れるって有り得ない、、、。
私は母親を呼びました。
タバコを吸うのでポケットのライターを出して台所まで行きました。
パキッ、パッキっと音がしていて何の音だろう?
お皿が割れていた音だったみたいでパラパラと音を立てていました。
すぐに私はブレーカーを見ました、いや、暗くて高い位置にあったので見えませんでした。
「ガス、、、」
元栓を切らないと、其のとき寒い風が部屋に入ってきました、
「?、、、」
ベランダのほうから風が吹いてきたのです。
気になりましたが先にガスの元栓を切らないと!
何とか元栓は位置はわかっていたので切れました。
あとで解かったんですが、ベランダに繋がる扉がひずんで隙間が出来ていたのです。
完全に建物が歪んでいたのです、後から解かりました。
心臓がバクバク言っているのが解かりました。
台所から居間への障子がゆっくり、開きました。
母親らしき影が見え一瞬ホッとしました。
お互い言葉は交わしませんでしたが、なぜか落ち着きました。
「なんて大きい地震だったんだろう」
しかし其の時神戸にもっと悲惨な事が起こっていたことなんか
解かりませんでした。
どうしていいのか、、、
其の時は外に出るには寒かったが
玄関に行こうと思って鍵を開けました、回りが騒がしいのに
きづきました。
ギギッ、、、扉は開きました。若干重い。
ホッと一安心してご近所さんが上から降りてきました。会話を交わします。
良かった
其の時はそう思いました。
母親は貯金通帳を探してきてと言いました。
もう大丈夫だろう、、、
ちょっと興奮している母親を見てこっちは冷静になろうと思いました。
「もう安心やって、おかん」
そう言った時に電気がバチッという音とともに
点きました。
まわりがざわめいていた。
朝のこんな時間に周りの人の気配を感じることなんか有り得ない。
寒い、、、
かなり寒かったのを覚えています。
ひとまずテレビを付けようと、居間のテレビを付けました。
ニュースがまだ始まっていませんでした、
そのまますることも無くずっと見ていました。
チャンネルをかえまくって最後8チャンネルに落ち着きました。
「火事のニュースばっかりやってる、、、」
それもそうです、神戸全域が火事になっていたんです
そのときそこが神戸とは知りませんでした。
その時、とても嫌な予感がしたのを
感じていました、
なにか、嫌な予感。
少し前の話に戻ります、
私の友人が住ノ江に住んでいまして、彼女が可愛い子でね、、、。
友人と何人かで神戸のその女の子の家に遊びに行きましてね。
みんなで泊まっていたんです、
神戸の東灘区の岡本というところです。
家族が父親、母親、長男、その彼女が長女、まだ5歳くらいの次女との5人家族です。
みんなで6畳の部屋に泊まってかなり狭かったです、
其の時は暖かったんです、でも夜は寒くてね、、、
布団をかぶらずに私は寝たんですが、夜中に彼女の兄が毛布を
掛けてくれたんです。半分寝ていて、なんとなくは覚えているんですが、
やさしい人だな〜って思っていました。毛布は兄の毛布だったので
間違いありませんでした。
それが1993年の夏でした。
1994年の4月にその二人は結婚して東京に移住したんです。
ちょこちょこ連絡はしていました、子供はまだで二人して仲良く
やっているのは知っていましたので。
神戸、、、
其の時ハッと目が覚めました、神戸長田区の放送だったんですが、
「東灘区は?」
チャンネルを必死で変えましたが、どのニュースも神戸全域、神戸全域、、、
「やばい」
ふと神戸のその兄と家族を思い出しました。
朝5時40分?くらいの出来事です、
まだ外も暗かった。
私はその夫婦の家にすぐ電話しました、
というか、繋がるのかな?受話器を上げると
音が聞こえてきました、繋がるんだ。
「プルル、、、」
なかなか出ません、ものすごく私は焦っていました。
「はよでんかいな、、、」(早く出ろよ:関東訳)
カチャと音がして出た!
「神戸が地震や!テレビつけてみー!」
「、、、?なんなん?」
彼女は寝ぼけてました、ひとまず実家に電話するように言いました。
それから電話を切りましたが、ひどく気になっててもう一度掛けようと
思いまた電話しました、
鳴るが出ないらしく、
どうすることも出来ない苛立ちで彼女は泣き出してしまいました。
妹がまだ小さいのがかなり心配だったみたいです。
私も彼女の兄が気になりました、優しいお兄さんだったのが
ものすごく印象的だったんです。
私からすれば、その家族は羨ましいくらい仲が良く、
私の憧れの、理想の家族だったのです。
その時自然と迷わず、一言、私は即答しました。
「じゃあ、おれが行ってくるわ。」
私は今から神戸に行くことにしました。
其の時TS200Rなら何の不安も無く走行できると思ったが、
ガソリンスタンドが倒壊状態のはずだと思い、航続距離と
今からシリンダーを組んで出発するのは時間が掛かる。
V100、、、無理だ、私のは其の時、前期型でガソリンタンクが小さすぎる。
(後期はまだ発表されていなかったと思います)
バンディットしかない、、、
状態が悪いバイクなのが解かっていたのですが
「これでいくんかいな、、、」
選択できない状況でした。
パキッ、カチャカチャ、、
SHOEIのヘルメットのシールドをスモークからクリアーに変更しながら
ニュースを見て情報を集めながら
出発の準備を始めました。
正直、足が震えてました。何が私を動かしたのか、
こんな状況は初めてでした。
1分1秒を争う時だと
思いました。今ひょっとしたら、
壁の下敷きになっているかもしれない。
「早く行かないと、、、」
母親は皿を片付けていました、
私はベランダに水色のコンテナボックスがあるのを知っていたので、
水で洗いました、空のペットボトルに浄水器の水を入れて、
冷蔵庫をあさりました、
漬物とご飯(お米)と水道が止まっているらしいので、
ペットボトルを6本、ティッシュの箱を5箱、
コンテナに積んでバイクのところに行きました。
母親は「どこ行くの?」
「神戸に行ってくる」
「ほんまかいな?、、、、、気を付けていってきいな、、、」
その時の母親の顔は複雑な表情でした。
私は外に下りました、あれ?
なんとV100が倒れているではありませんか!
センタースタンドを立てていたのに倒れていました、
衝撃のすさまじさを改めて感じました。
他の2台は無事でした。
私の家は住宅でしたので、バイクは裏にまとめて
置いていたんです。
バンディット250を家の入り口の下まで押しました。
トリップメーターを見て5キロだったのに気づきました。
こないだ満タンにしたばかりでした、幸運でした。
コンテナを持ってきて、バイク便状態にしようと思いましたが、
「どうやって固定しているんだ?、、、」
やり方が解からない、、、どうしよう、
おかんのチャリンコ(自転車)をみて、、、、
「あ、、、」
荷台の固定に使う水色のゴムを発見しました。
よくおばちゃんが使っているやつです。
急いでグルグル巻きにしましたが、かなり重くなっているので、
グラグラしていました、見た目なんか気にしてる場合じゃないよ、
布ガムテープを持ってきて固定しました。
テールカウルはビタビタになってしまいました。
其の時ガムテープはコンテナの中に入れたんです、
幸運でした。
「よっしゃ!」
準備は整いました、母親は仕事に行かなくてはいけなく、
私は「行ってくるわ」と一言いって出発しました。
暖気もままならず出発しました、
そのときの気温は寒く、吐く息は白かった。
氷点下2度くらいだったのか、後で知りましたが私は其の時は
寒さを感じませんでした。
午前6時
出発
まず2号線から走ろう、
43号線は阪神高速が倒壊してしまって途中から走れないと
ニュースでやっていましたので、
十三から抜けて2号線をひたすら走れば付くはず!
ものすごいペースで走りました、250バンディットは悲鳴を上げていました、
今日一日は頑張ってもらうよ。
手足の感覚はまだありました、十三交差点までは普通の町並みでした、
まさかこんなことになるとは思っても見ませんでした。
バンディットのふけ上がりが悪い、
オイルが減りだしていたのでしょう、
高回転は音だけで
思っていたより調子が悪い。
一瞬気になりましたが、気にしてる場合じゃない。
武庫之荘までは順調でした、が、そこからは
見たことも無い光景が待ち構えていました、
私は川を越えました。
何かが道路の反対車線をふさいでいるのが解かりました、
大阪行きが止まってました、
「なんやろ?」アクセルをパーシャルにして見てみる、、、、
2号線にマンションが倒れているんです、
??え、、、?
そんな光景は生まれてはじめてみました。2号線に大きくもたれかかっている。
マンションは5階建てくらいだったのでしょうか?
その横のマンションは立っていました、が、
「?」
何か変な光景だ、、、、
一階の入り口が無く、
ベランダのすぐ下にテントのようなものが
見えたんです。ハッとしてまさか、、、と思いました。
そうです、そのベランダは2階のベランダで、一階部分は
押しつぶされてしまっていたのです。
入り口の雨よけのテントでしょうか?がかろうじて見えました。
わずか1〜2秒の出来事ですが、認識出来ました。
きづいても、気づかないふりをしたんです。
其の時はシールド越しに見た景色だったので、
どこか現実離れしていて、
素直に事態を飲み込めなかった。
そこから少し渋滞が始まり、なぜか田府県ナンバーの車が目立っていました。
シフトをダウン、スピードを緩めます。
車に乗っている人間の表情をバックミラーで垣間見る。
笑っている。建物を指差してる若い奴。
「ふざけんな!」
アクセルを開けて、突っ走りました。
遊び半分のギャラリーか?
苛立ちと、怒りがこみ上げてきました、其の時の私は
若かったのでその連中の事が理解が出来ませんでした。
勿論なかには親戚を心配して出発した車もあったでしょう、
暗くても表情、中の荷物は見えたので解かりました。
午前6時半頃でしょうか、まだまだ暗い時間帯、なかなか明るくならない、
渋滞を抜けて
時速100キロまで引っ張って走りました。
其の時全く先が見えない、何でこんなに暗いんだ?
それもそのはず、全くの停電、普通自動販売機とか
お店があって照明などがあるはずですが、
全くそれが無いのです。
想像してください、田舎の方は使う機会はあるとは
思いますが、市内、都内の幹線道路で、
ハイビームを使ったことありますでしょうか、
まず使わないでしょう、しかし、私は
ハイビームで照らします。
滅多にハイビームなんか使わない、、が、
使わざるをえない状況でした。
ここは本当に2号線かいな、、、
はっきり言って田舎道です、暗いわ、、、
其の時少し先に光が見えたんです、明るい所がある、
良かった、、、其の時はそう思ってしばらく走りました。
其の時、安心したのか、寒さを感じました。
寒さと変な
「におい」
を感じました。
何のにおいだ?嗅いだことのある臭いです、
気分が悪くなってきました、思い出しました、この臭い。
「ガス?」
ガスが漏れている臭いなんです。
その先に光が見えるんです、まさか、、、、、、。
そうです、光は家が燃えていたのです。
アクセルを緩めました、いや、緩めたというか、
絶望した気分でした。
「なんやこれ、、、」
今まで通り過ぎたときに変なものが見えていたんですが
確認出来なくて、白やら赤やら銀色やら青やら、、、
その家は炎というより、石炭やら炭の燃える色
オレンジ色に燃えていました。
その明かりが周りを照らして解かったんです、
いままで何かあるなと、思っていたのは
「自動販売機」だったんです。
半分に割れているものや傾いて蓋が開いているもの
など、日常では見ることが無い「物」だったんです。
中から缶がゴロゴロでていました、初めて見る光景でした。
ふと、上を見ました、信号機?
よく解らなかったので、シールドを上げました。
信号機だったのでしょう、それらしきものが見えたんですが、
溶けていたんです、
信号機が溶けていたんです。
「、、、、、?、」
吐き気がしました、それがガスによるものなのか、
景色によるものなのかはもう解かりません。
その燃えている家を見て虚無感が押し寄せてきて、
「もうあかんわ、、、」
まだまだ先に行かないといけない、いけるんだろうか。
若い私はビビッてしまいました。
そのときは本当に怖かったです。
ヘルメットのシールドを上げて、そのまま止まってしまいました、聞こえるのはパチパチ燃える音、
バンディットのアイドリング音のみ、、、。
いまがどの辺りなのかも解からない、
寒さが襲ってきました、それもそうでしょう、
1月のもっとも寒い時期にいくらウインターグローブ、
インナーを着ていても
ピークの寒さは凄まじいです。
どうしよう、、、其の時私は葛藤しました、
若造がこんな事態に直面したら、そうでしょう、
はっきり言って根性なしでした。
ふと、西の先を見ました、
なんであんなに空が大きく見えるんだ?
高い建物が全て崩れ去っていたのです、
その段階ではまだ解らなかったのですが、
とても不気味に、黒い空が大きく神戸の町に
覆いかぶさっている光景でした、
とても不気味な光景でした、、、、
恐怖を感じました。
怖くて、怖くて、怖気ずいて止まってしまった。
まだ引き返せる、、、
そう思ってしまいました。
なんて弱かったんでしょう、今でもつくずく思います。
長時間アイドリング状態でした、
其の時後ろからバイクが近づいてきました。
単気等の音でした。
フル装備で荷物を抱え、他府県ナンバーだったのか、
リアボックス、リュック、に赤い十字架が見えました、
あれはきっと物資供給隊の人だったと思います。
スズキのジェベルだったのでしょうか?
スズキの
「SUZUKI」
マークが見えたんです。
今思えばそのバイクが何だったのかは解かりませんが、
明らかにスズキのバイクだったのは解かりました。
ただ、そのバイクは、本当に「力強く」走っていた。
後ろから車がちかづいてきました
われに返り、長時間アイドルのバンディットに活を
入れました。
思いっきり空ぶかししレッドまで回しました。
何でなんでしょうか、
クラッチを切り、ローギアに入れて発進できました。
そのとき私は、
「俺だけじゃないんだ!」
と思いました。其の時ジェベル?がとおらなっかったら、
どうなっていたのか解かりません。
はっきり言ってかっこ悪かったです、
車が追いついてきました、もっと速く走らないと、、、
バンディット、、、スズキは
「カタナ」というバイクを作っていた、
私が中学生の頃、「乗りたい!カッコイイ!!」と憧れのバイクでした。
カタナ、バンディット、、、。
其の時ジェベル?は
私に勇気を与えてくれました、
「スズキ、、、」
スズキのマークを見ると落ち着いた、
何でだろう、、、
憧れのカタナのタンクに大きく
「SUZUKI」
と書いていたからでしょう。
その時も私は「カタナ」、
バイクに乗るきっかけを
作ってくれたバイクを
思い出していました。
あのバイクに乗りたいんだ!
いや、あのカッコイイバイクが似合う男に
なりたいと思っていた。
良く考えると、徹夜明けだったんです。
思考能力は低下していました。
そのときの自分の状態が普通ではないことには
気づいていなかったと思います。
本当にあの時の私は、引き返そうと思ってしまいました、
情けない。
とても鋭くも、重たい空気を切って走る感覚で、
そのまま走り続けました。
もうジェベルは見えなくなっていました、
まだまだ半分くらいでしょうか、
正直集中力が欠けてきました、
一瞬道の先になにか
「黒い線」
が左右に走っているのを見たんですが、
それを認識、理解する力が其の時は
なくなっていました。
徹夜、氷点下の気温、ガス中毒、、、、
若い私は正直疲れていました。
黒い線が目の前に来ました。
バンッ!!
わっ、、、バンディットが浮きました。
何や?!
慌てて体制をニーグリップで立て直します、
オフ車で覚えたテクニックがこんなところで役に立ちました。
地面が盛り上がっていたのです、
断層が30CMほど上がって国道が盛り上がっていたのです。
車は通れなくなくなっていたのです。
バンディットは宙を舞って、ブレーキがロックした状態で地面に接地しました、
宙に浮いた時点で私は
パニックブレーキを起こして、ロックした状態で
地面に止まったタイヤをこすり付けてとんでもない
暴れ方をしたのです、ステップを踏ん張って、
押さえつけようとしましたが、TSとは違って
バンディットは重く、まだ乗りなれていなかったこともあり、
激しく暴れました。
やばい、転倒したらだめだ、、、
最後に右足を出して、なんとか踏ん張りました。
車体の角度は地面に対して45度くらいでした。
なんとか耐えれた、転倒は免れた。
後ろを振り返ると、暗くても解かるくらい、こっちの道路が盛り上がって
いて向こうの道路が落ちていました。
「黒い線」は道路の
“断層”だったのです。
其の時右足が痛かった、よくある怪我です、捻挫していましたが
すぐに空ぶかししながら
シフトを5段下げ発進しました。
5段下げたつもりでしたが、2速発進でした。
もうその辺の道はむちゃくちゃになっていた。
しばらく走っていました、
もうここがどのへんか解かりませんでした。
標識も、信号も無い、ほんとに日本を走っているのかどうかも
解かりませんでしたがアクセルは必死で開けました。
「止まってしまうかもしれない自分の弱さを抑えるためだったのでしょう。」
私の師匠が言っていた言葉があるんですが、
「恐怖心は取り除くことは出来ないけど、トレーニングで
小さくすることは出来る」
自分に言い聞かせて走ってました。
寒さで手足の感覚も無くなってきた、、、寒いがゆえに
右足の捻挫は痛さを感じにくくなっていました。
あのジェベルはまだまだ見えませんでした。
一緒に走れば楽なんだろうな、ツーリングなどの時は
交代で先頭を変わり、各自の負担を押さえることが出来ますが、
たった一人でこの環境、自分との戦いでした。
なかなか明るくならない、せめて明るければもっと
楽だったと思います。
ところどころに家が燃えていて、オレンジ色に光っている。
まるで神社の灯篭のように等間隔で光っている、
不気味な光景でした。
恐怖心、虚無感、不安、マイナスの感情全てを感じながら
走りました。
鳥肌が立っているのは解かりました、
それが寒さなのか、恐怖心なのかは今でも解かりません。
段々高い建物がなくなってきました、
空の黒さが目立って来ました。
その景色は不気味で、全身に鳥肌が立ちました。
生まれてはじめてみる光景でした。
いま思えば一番の激震地だったのでしょう、
もう建物らしき建物が見つからない。
まったいらな町並み、、、といっても影しか見えませんでしたが、、、。
なぜか解かりませんでしたし、
理解する力も其の時の私は無かったです。
そこから一番ひどい状態の町に突入していくことになりました。
西宮を越えたくらいでした。
少し、慣れてきました、寒さも感覚が麻痺してきました。
周りを見れるようになってきました、
「人、、、」
人らしき影を発見しました。
なぜか安心しました。
しかしなにをしているのかはわかりません、
自動販売機?らしき物の周りにも人が見えました。
ジュースをとっていたのです。
其の時は解かりませんでした。
すこしペースが落ちました、体調が悪いときはあまりハイペースには
走れないことはありますよね、まさにそれでした。
しばらく走っていました。
放心状態でした。
其の時は普通繰り返している、
「予知」、「認識」、「回避」が
全く意味を持ちませんでした。それもそうです、普通の町乗りは
出来ても、
今は「町乗り」ではないからです。
目の前に何かが落ちていたんです。
1メートル四方の物体です、
私の発見が遅れました。
「あっ、、、」
80キロほど出ていたんでしょうか、なんでこんなミスをしたのか
いまだに解かりません、
そのまま激突しました。
少し状態を右に反らしたのは覚えていますが、
ほぼバイクは直角に真正面から当たってしまいました。
私は右に吹き飛びました、フロント周りを強打して、
バイクから身体が離れてしまいました、
バンディットのエンジンが止まって、
私は前から右にすべってグルグル回転しました。
痛いという感覚はありませんでした。
すべてがスローモーションでした。
「しまった、、、、」
全身を強く打って、骨がきしんだような痛さを感じました。
まるでバイクに一本背負いを決められたようでした。
気がつけば、シールドのすぐ向こうに、
アスファルトが見えたのです、
うつぶせに倒れました。
前から転ぶ一番最低の転倒の仕方です、
指が痛い、、、寒いから?怪我したから?
両方でした。
立ち上がれませんでした、
「緊張して張り詰めた糸がプチンと切れてしまった」
感覚です。
バイクに乗られる方なら解かる筈。
しばらく動けませんでした、、、、このままだれも
こないのかな、、、、
人に期待している弱い自分が
姿を現しました。
私はテレビのGPレースが大好きで、
転倒しているライダーも良く見ていました。
転倒するのは見る側は迫力ですごいと思っても、
転倒する側がこんなに情けないものかとつくづく思いました。
TIサーキットの師匠を思い出しました。
ハッとして起き上がりました。
「立たないと、、、」
はたから見たらかっこわりい、、、
手足が痺れてすぐには起き上がれませんでした。
痛い、、、、
でも走らないと、、、
後ろを振り返ると物体が見えました、
電柱の上に「バケツ」のようなものがよく有りますよね。
変電機なのでしょうか、最近は少なくなりましたが、
外周に放熱フィンのようなものがついているものです。
まさにそれでした。
認識するのにしばらく時間が掛かりました。
「何でこんなものにぶつかったんだ?、、、
というか、何で国道に落ちているんだ?」
目の前にあることすら「不可解な物体」でした。
が、今は考えている余裕は無い、
バンディットにゆっくり近づいて確認しました。
右の転倒したのに左に倒れていました。
?
激しく転倒したので、回転したのでしょうか、
タンクの上がへこんでました。
理解できかったので、考えないことにしようと
ばらばらになった荷物を集めました。
ガムテープはすぐに見つかったので、
コンテナを見ました。
少し歩道側に発見しました。バンディットを起こすのは
今はカタナで重いバイクは慣れましたが、
其の時はなんて重いんだろうと思いました。
力を振り絞ってなんとか起こしました。
疲れた、、、。
ガムテープを持ってきていて良かった。
またコンテナをグルグル巻きにしました。
喉がからからなのに気づいてジュースでもと思ったのですが、
休憩してる場合じゃない、ジュースはその辺に落ちていたので
いくらでも飲める、、、、
拾うことに犯罪じゃないのかと抵抗感を其の時は
感じました。
持ってきている水は飲めない、飲まないようにしないと。
ヘルメットを脱ぎたくなかった、脱いだらまたかぶるのに
絶対時間が掛かると思った。
そのまま行こう。
目的地に向かわなければ。
「早く東灘区まで行くんだ、」